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平成14年
平成14年6月10日(月)
中野区長選挙が開票結果が出た。4期16年区長を務めた神山区長の引退に伴い、新人5人が立候補した。3人の激戦の争いであった。1位と3位の差が1471票、そして1位と2位が529票であった。投票率が33,42%であった。この結果により、区長選挙というのは、区がこれから4年どう変わっていくのか、首長の選挙にもかかわらず多くの人が興味がないことが明らかになった。保育所がないとか特別養護老人ホームがないとかいろいろな問題を耳にする。であれば大切な1票を無駄にすることなく区政に個人の声を届けることが必要だと思う。首長で区は変わることができるのではないかと思う。私達がすみよい社会にするには選挙にいってまず自分の考えを政治に反映させてくれる人に投票すべきである。中野区では約65%の人が誰が区長になっても自分には関係ないと考えているらしい。首長の権力には大きなものがあると認識していないのだろうか?とても残念に思う。
少子化対策の年金制度の改革案が厚生労働省から発表になった。
ドイツは出産後3年は無職でも平均賃金の労働者と同じ年金保険料を納めたとみなすという。
海外の少子化対策は国をあげてやっている。子供を産もうと思っても産むことが難しい社会は残念である。
平成14年6月11日(火)
関東甲信などが梅雨入りをした。平年より3日昨年より6日遅い梅雨入りである。夏の眩しい太陽に会うためにはこの季節を我慢しなければいけない。私の一番好きな季節は夏である。暑い夏が大好きである。夏は何でも出来るような気がする。そして夏に太陽にむかって咲いているひまわりが好きである。ひまわりをみていると元気がでてくる。わたしもひまわりのようにいつも元気でいたい。何があっても笑顔を忘れない人間になりたいと思う。
平成14年6月12日(水)
有事法制
日比谷の野外音楽堂で6時20分から「異議あり!有事法制6.12全国集会」に行ってきた。
全国から2000人位の人が雨の中集まっていた。広島から沖縄から戦争を体験した人が語った。
有事法制は今必要なのであろうか?戦争にかかわる大事な法案なのにじっくりも話し合いもせずに通すことばかりに一生懸命な与党がいるような気がする。何故必要でこれがあるとどうなるのかをもっと国民に知らせるべきだと思う。
私は戦争は嫌である。といっても戦争を体験していないが、未来ある多くの若者達が戦争で犠牲になった。罪のない大勢の人が殺された。そして今も尚後遺症で苦しんでいる人たちがいる。有事は戦争のための法律ではないと言う人もいる。がしかし、有事になったときに有資格者達は戦時に借り出される。私達も命令に従わなければならない。
私達の祖母の時代や明治の女性たちは戦争によっていろんなものを失った。大切な人も無くした。そして、戦後もうそんな時代が来ないようにと願いをこめて憲法の中で平和をうたった。彼女達の意思を私達も引きつかなければいけないと私は思う。
平成14年6月13日(木)
妹夫婦にあった。妹は福祉の街づくり連絡会にも参加している。
最近はたまにしか会わないが2人にあって食事するときが楽しい時間である。
義理の弟はイギリス出身でアメリカの会社に勤めているが、サッカーはイギリス戦になると会社を早退するそうである。
アメリカ人の上司も早く帰りなさいというとのことである。明日のサッカーは昼間である。日本の企業はどうなのか別の意味で楽しみである。
平成14年6月14日(金)
日本がまた勝った。日本対チュニジア戦。うちの会社ではやはりテレビでサッカー観戦をした。この時間は電話もならなかった。ほとんどの地方自治体は業務を優先したようだが、東京都の石原都知事は職員も遠慮なくサッカーをみてほしいと公認したとの事である。首相も官邸で観戦したらしく、この時間は来客を受け付けなかったとか。
日本はどこまでいけるのか、楽しみである。日本もスポーツにおいて世界に近づいて来たことが嬉しく思う。
サッカーに夢中になっている人たちが政治にも目を向けることが出来たなら日本はもっと変わるのではないのだろうか?
平成14年6月15日(土)
・大久保で行われた『復興とまち映像祭』にいって勉強をしてきた。
コミュニティに力あり 〜阪神大震災で学ぶこと〜
1995年1月17日午前5時46分に阪神・淡路大震災があった。マグニチュード7,2の大地震である。最大震度7(激震)、6432名の死者がでた。ライフラインの被害も大きかった。
この勉強会は1部がトーク「インターコミュニティのすすめ」2部が映画上映「野田北部・鷹取の人びと 第14部証言編」3部が討論「震後のまちづくり活動の継承と展開」であった。
神戸に長田区の人々はどうであったのか?そして大久保の人たちが震災ボランティアに参加してからの長田区の人々との交流。東京の中でも外国人集住地域である新宿区大久保が外国人と共に住む多文化共生のまちづくりを提案。
長田区の被災者は生活再建とコミュニティの再生を検索する活動をはじめ、本当の意味で住民が主体となった街づくりをした。
平時でも住民が協働し自分達の手で街づくりをする。そして街について共に考える。ハードよりソフトへということがキーワードということであった。